いつか書こうと思ってた案件…(汗)
結論から言うと、私は不妊治療と仕事を「両立できなかった」人です。
なので、なんとか両立を頑張ろうとしている人にとっては、なんの参考にもならない記事かもしれません。
こういう人間もいるんだ、と思っていただければと思います。
どういう仕事をしていたか

私はバツイチなんですが、離婚後、猛勉強して【登録販売者】という資格を取得し、それもあって面接が通り、小売店に正社員として入社しました。
【登録販売者】とはざっくり言うと医薬品の第二類・第三類を販売できる仕事です。
このとき年齢33歳。
まだKは友達だけど結婚はしてません。
このとき私は【年齢的にもこれが最後の正社員かもしれない。絶対に定年まで続けよう】と思っていました。
私はすでに両卵管切除していたので、次の結婚もわりと焦ってましたが、Kはすでに私の身に起きたことを知っており、その上で再婚をしてくれました。
とにかく一年目は仕事を覚えるのに必死!
全国でもかなり来店者数の多い店舗で、毎日2万歩も歩くことがザラ、ハードな現場仕事でした。

医薬品の販売というと聞こえは良いですが、実はドラッグストアってめちゃめちゃ重いものたくさんあるんですよ。
洗剤とかシャンプーとか…
トイレットペーパーも軽いけどかさばるし、とにかくみんな買っていくので、運ぶ量もやばい!
【カゴ車】という荷台が何台も運ばれて商品を品出しします。
私は地元CLですでに不妊治療を始めていたのですが、「ここの現場にいたら、治療は無理なのでは…」と薄々感じていました。
シフト制でしたが遅番だったので、なんとかクリニックに通えてはいましたが、とにかく毎日重い荷物を上げ下げしなければなりません。 私自身は丈夫でそんなのへっちゃらなほうなんですが、移植したあとは自分ひとりの身体ではありません。
どうしたらいいか分からないまま、通院しつつ仕事してました。
そんなある日、転機がおとずれる

現場の店長とこれからの話をしたときに、たびたび「開発の仕事に携われたら…」という希望を出してたんですが、その話が本社に伝わり、本社から声がかかりました。
開発部ではないが、それに近いことをやったりする海外貿易部に行かないか、という話でした。海外に向けて自社商品を輸出したり、開発したりする仕事です。
英語が苦手な自分にとっては青天の霹靂でしたが、とりあえず現場から離れ、本社で仕事することになれば事務仕事なので肉体労働から脱出できます。
しかもやりたかった仕事に一歩近づける!!
よかったー!
治療もなんとか続けられるー!!
と思った私は「やらせてください!」と海外貿易部に異動したのでした。
が、しかし世の中そんなに甘くないのであった…
\ 次回の記事はコチラ /

コメント